村行政の大きな課題の一つは衛生問題であった。当時は現在と違ってずいぶん伝染病赤痢が流行しておったというものの、今日からこれを一言につくせば、やはり衛生思想の欠如したものがあったと言われるであろうが、とにかく隔離病舎の繁昌したことは、それだけ当時村民の大なる脅威であったに違い無いと説明され、財政的にも、すくらからぬ村費を投じ、明治三五年度歳出予算高三六二五円の内、臨時部支出二四三円全額が衛生費として計上され、さらにその年、追加予算として一五九円を使い果たしたと記入している。伝染病への対応については、旧五か村時代とほとんど変わっていない。伝染病発生時は患者を隔離病舎に収容し、平常時は毎年、清潔法を徹底して施行した。例えば明治四三年における衛生法施行では、雨天順延とし家屋は床下および周辺はもちろん、汚水溜、便所、下水等入念に消毒するよう各区や町内に通達し、終了日には警察官の検査を受けることにしていた。