これまでの経緯で明らかなことは衛生行政も担当していた警察官が出勤し患者の収容、隔離の徹底を図っている事、村長も連夜宿直して病舎事務室で執務するなど、役場の総力をあげて赤痢対策にあたり好成績を上げた事である。尚、この明治三一年一一月一六日、新潟県知事あて提出された赤痢病予防費補助稟請書によれば、発生患者二七名で、病舎五二坪は狭いので、隣接民家二棟を借り受け、全快患者室と事務室とにあて、その他仮小屋四棟を整備したこと、医師、看護人、予防委員、雑使その他の諸給料、消毒薬、治療薬価、備品、薪炭、油購入費その他の実費として一四八三円支払った事がわかる。医員給は二名の内、一名日当一円ずつ、他に夜勤手当て一円。他三名は日当一円ずつ夜勤手当一円ずつとなっていて、総計一三九円に達していた。事務員は日当五〇銭。予防委員は一ヶ月六円ずつ、看護人は日当五〇銭ずつ等であった。当時使われていた備品としては、蒸気消毒器一個、煮沸消毒器二具、検温器、ふとん、水風呂、手桶、半切桶、オマル、たらい等四一品目。消耗品としては、半紙、ちり紙、晒木綿、石鹸、消毒白衣等、消毒薬としては石炭酸、生石灰、塩酸、昇こうが上げられる。治療機械は、検温器、皮下注射器、メートグラス、薬さじがあった。