村役場と議会

村政を支配し動かしたのは、明治前期から引き続き名望のある地主豪農層の支配体制に適合する機構であった。町村制の推進者であった山県有朋は、財政を有し知識を備える所の有力な人物こそ議員たるの地位を占めん、と述べているように、村議会議員の選挙権、被選挙権を持つ者は、帝国臣民の男子、二五歳以上の戸主で一定の有産者である公民に限定された。住民の多数を占める小作農民層は、村会とは、無縁の存在だった。しかも、等級選挙制によって大地主に有利な制度になっていた。村長は村議会で選任し、県知事の認可が必要であった。村の役場は、村長、助役、収入役ほか若干名の史員から成る文字どおり小さな政府であった。役場の建物も民家を借りている例も少なくなかった。伝在している明治三四年の財政史料等から推測するかぎりは、村の村長は豪農層に属し、名望家と呼ばれる人々であり、村長は名誉職として、無給であった。助役も無給の名誉職であった。明治前期と同じく、村長や助役は、有産者でなければ就任できない体制であった。収入役は有給であった。ただし有給というわけではなく、書記と同額か、低い場合もあった。助役収入役のほかに、史員は書記一、二名、付属員一名、使丁または小遣いを一名置いていた。

村役場と議会